忘れえぬ弦の響き
Joni Mitchell Big Yellow Taxi 1970.mp4
最初にギターに触れたのは姉のフォーク・ギターを隠れて触ったときだった。やがて姉は興味を失い、弦を錆びるにまかせてギターは放置された。そんなギターに興味を持ったのは思春期に入ろうとしていた私であった。姉が持っていたギターの教則本の表紙には若かりし日の「香坂みゆき」が公園の芝生に座りギターを弾いている写真が載っていた。私はその写真を見て少し背伸びをして「こんな可愛い子とギターを通して仲良くなれたらいいな」という実に安易な考えが浮かんで来た。
最初はチューニングをしようにも「音」の世界であるから活字で書かれている教則本がいくら親切丁寧でもわかりようがなかった。結局、錆びた弦を放置されたままのチューニングで弾いていたわけであるから上達のしようがない。学校の友達に教えてもらって初めてチューニングのやり方がわかった。頭ではわかったのだが、やはり「音」の世界、実際にやるのはむづかしかった。まず「音叉」で5弦の「A」の音を合わせる。当然のことながら同じ「A」の音でも「音叉」とギターの「弦」だと音の響きが違う、いくらやってもわからないので、現状の5弦の音を基準にすべての弦の音を合わせることにした。今度は同じギターの「弦」同士であるから少しは楽かと思いきや、なかなかうまくいかなかった。どんどん弦を巻いて音をあげていくのだがチューニングが合ったのに気づかずにさらに巻いて「ビチ~ン!」とよく弦を切ったものである。なけなしの金で買う弦であるから当然1セットしか買えない、そんな弦が切れるときの音の響きは実に哀しく、やりきれないものがあった。今でもその当時のことがトラウマになって弦を巻いて音をあげていくときは「黒ヒゲ危機一髪」(樽に入った海賊の黒髭に順番に穴に剣を刺していくゲームで、一つだけ刺すと黒髭が樽から飛び出す穴がある実にスリリングなものだった。)のようなスリルがある。さすがに最近は張り換えチューニング中に弦を切るということはなくなったが(笑)。
別に弦が切れたからといって手に当たり痛いというようなことはないのであるが、冬のみんなが寝静まった夜に凍える手で一人弦を張り替えていて、突然響き渡る「ビチ~ン!」というまるでチョッパー・ベースのような音!この音のインパクトは実に強烈である。
今思えば最初のギターとの馴れ初めは弦を巻き、音をあげていくスリルと、この「ビチ~ン!」の音から始まったといえるかもしれない。懐かしく、そして忘れられない音である。
東慶寺慕情
鎌倉にぶらりと出かけたときに「縁切寺」「駆け込み寺」として有名な「東慶寺」の墓所に佇んでしまうことがよくある。この墓所に眠っている人達はまさにそうそうたる顔ぶれである。小林秀雄、和辻哲郎、大仏次郎、高見順、西田幾太郎、鈴木大拙・・・・。まさに「日本の頭脳」とも言われた人達である。彼らは不世出の存在であり、日本が世界に誇る存在であった。墓から這い出してもらってでもその話を聴いてみたい人達である。これだけそうそうたる人達がこの寺を墓所に選ぶからにはこの地には何かしら素晴らしいものがあるのだろうかと考えてしまう。
苔むした石段、ことのほか質素な墓石をながめつつ、彼らが没してからの約半世紀という星霜に思いをよせてみる。「半世紀」という時の単位は長いのか、短いのか、ただいえることは、今にいたる「半世紀」という時の流れはまさに激流のごとく流れ、世の中のテンポも激流のように速い時代になってしまった。原稿用紙、ペン、そして自らの存在感のみで戦ってきた彼らが愛しくもあり、そしてそれを理解し、受け止めることができる精神、心の余裕があった日本人がうらやましくもあり、そして今よりも緩やかに流れていたであろう時の流れがとても尊といもののように思われるのである。
今の時代、「ヒーロー」の不在を痛切に感じてしまう。時代の流れが早くなり、メディアがめまぐるしく発達し、情報が氾濫し、それをいちいち判断する時間を持つことすら許されずに「ヒーロー」を始めとして人々は生き埋めにされてしまっているような気がするのである。はたして、この東慶寺で眠る「英雄」たちは、今の時代をどのように判断するのであろうか。
樹々に染み入るヒグラシの声、ここでは時の流れが停まっているかのようである。墓所に佇みながら風の音に耳を傾ける。もしかすると彼らの会話が聞こえてくるかもしれない・・・そんな気がしてしまう・・・。精神的にも政治的にも経済的にも、そしてすべてのことにおいて、前はおろか、後ろも横も見えなくなってしまったまさに「五里霧中」の日本人・・・。東慶寺墓所に眠る彼らの声を痛切に聴きたくなるのである。
冬の西行桜
Larkin Poe | Duane Allman Cover ("Mean Old World")
花見にと
群れつつ人の
来るのみぞ
あたら桜の
とがにはありける
浮世と見るも山と見るも
唯其人の心にあり
非情無心の草木の
花に浮世のとがはあらじ
(西行桜より)
十年、二十年、三十年、四十年・・・歩みを進めて来て振り返ると誰の心の中にも散らずに咲いている桜が一、二本必ずあるはずである。意識する、しないにかかわらず日本人と桜の情緒的かかわりはそれくらい深いもののように思える。各人の心に秘められた桜も他人に知られることなくやがてはその人と共に散って行くのだろうが・・・。
何年前の事だったか。年の瀬に地元の友人に案内されて上野界隈を歩いたことがある。凄い勢いでアメ横へと吸い込まれて行く人の流れにわざと逆らって上野公園から日暮里まで歩いた。下町っ子である友人の下町関連の話には惹き込まれたものだった。もう江戸弁を遣う人など数少ないのだろうが、友人の言葉の歯切れよさにその名残を伺えたような気がした。
桜の季節には散る花と人で賑わう上野公園・・・しかしながら時は真冬・・・樹々は固く口を閉ざしている。春を想い描きながら花咲か爺さん気分で寡黙な樹々一本一本花咲かせて歩く。これは一風変わった楽しい花見であった。
不忍通り、言問通りと歩いて谷中霊園に差し掛かったときに友人がポツリとそんな秘めたる桜の話をしてくれた。
毎年恒例行事としてこの場所で家族、親戚たちと花見をしていたらしい。とある年、例年通り花見を終えて帰ったあとに残された忘れ物に気づき一緒に花見をした伯母さんの家に届けに行ったそうだ。春の優しく明るい陽射しの中みんなで楽しんだ谷中墓地の桜。それとはうって変わっている暮れなずむ寂しげな桜のアーチを一人早足で潜り抜けて行った。一人暮らしの伯母さんの家に着いて何回も呼び鈴を鳴らしたが応答がない。買い物にでも行ったのかなと思い引き返したそうだ。翌日訪ねてみるとポストに新聞が入りっぱなし・・・。これはおかしいと思い警察に連絡して大家さん立合いのもと鍵を開けて入ると伯母さんは風呂場で亡くなられていたそうだ。それ以降友人の家族はこの季節は悲しくて花見をしなくなったそうだ。
そのときは歩きながら何とはなしに耳を傾けていた友人の話だが、今となって春爛漫、谷中墓地の桜の光景が鮮明に浮かんで来る。あそこに行ったのは年の瀬、真冬・・・しかも一度切りなのに・・・。
確かに桜の花には(とが)はないのだろう。しかしながら一旦人の心に奥深く入り込んだ桜の花は散ることなく、秘められたまま妖しく咲き乱れる。この真冬の桜逍遥で友人の秘められるべき桜を盗見して持ち帰ったような気分になった。
いよいよ巡る季節は春爛漫
人々はいったい
どちらの花に
心を寄せて
桜吹雪の中たゆたうのか・・・
風に散る
花の行方は
知らねども
惜しむ心は
身にとまりけり
(西行)