MR.LONELY


Bobby Vinton - Mr. Lonely

 

 

 

 

 

 

 

 

遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休めるとき、遥か雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。満天の星空をいただく果てしない光の海を豊かに流れゆく風に心を開けば、きらめく星座の物語も聞こえて来る、夜のしじまのなんと饒舌なことでしょう。光と影の境に消えていった遥かな地平線も瞼に浮かんでまいります・・・。 

FM東京で深夜12時に放送されていた「ジェット・ストリーム」のオープニング・ナレーションである。ボビー・ビントンのヒット曲「ミスター・ロンリー」をバックに亡くなってしまった城達也氏の「燻し銀の声」が流れてくる。 
この番組のオープニングはテーマ曲が始まる前に飛行機の飛ぶ音、パイロットと管制塔の会話が効果音として流れる、それはステレオ効果をフルに使っていて、音が右から左、左から右と流れひじょうに心地よい立体感のあるものだった。 

私がラジオの深夜放送を聴き始めたのは中学生の頃だった。深夜12時まではAM放送のディスク・ジョッキーを聴き、12時になるとFM東京に切り替えてこの「ジェット・ストリーム」に聴き入った。 
AM放送のディスク・ジョッキーは、聴いていているのは独りぼっちの部屋であったが、ディスク・ジョッキーが「友達」のように話し掛けてくれ、さらに深夜にもかかわらず、その番組を聴いている人がたくさんいることが感じられて、俺は独りぼっちではない!というような「架空の一体感」とでもいうのだろうか、奇妙な一体感があり、学校とは別の友達ができたような気分になったものである。現代の若者にとっての「ネット」とにていたのかもしれない。 
それとは逆に「ジェット・ストリーム」は「独り」を愉しむために聴いていたように思える。 
城達也氏はあくまでも「ナレーター」で「ディスク・ジョッキー」ではない、けして「友達」にはなりえないのである。彼の声は番組の初めと終わりに流れるだけで他は延々とイージー・リスニングの音楽が流されつづける。まさに彼自身がオープニングのナレーションで言っているように「道先案内人」に徹しているのである。 

「放送メディア」がラジオからテレビに移ってすでに久しい。それゆえに城達也氏のような「声の職人」は本当に減ってしまった。「声の仕事」といわれるアナウンサーもテレビ向けのタレントばりの容姿の人ばかりが増え、かなり怪しいアナウンスをしている輩も多い。(ちなみに私も中学、高校は放送部員であった、アナウンスではなくカメラの担当であったが・・・)「声の職人」どころか「声の仕事」にすらなってない人も多いようだ。 

この前、深夜のタクシーに乗っているときに「ビリー・ボーン楽団」の「波路遥かに」が流れてきた、そしてそれにつづいて「燻し銀の声」・・・・。NHKの「ラジオ深夜便」という番組らしい、年配の人に絶大な支持を受けているそうだ、運転手さんが教えてくれた。 
テレビのアナウンサーの志向性が声よりもビジュアルの方向に向かった分、ベテランのアナウンサーはラジオに流れていっているようだ。ラジオではまだ「声の職人技」を聴くことができるのである、しかしながら彼等、彼女等「声の職人」たちは年配の人が多く直に定年退職してしまうだろう・・・。 

「ジェット・ストリーム」のテーマ曲に何故 
ミスター・ロンリー」が選ばれたのか、ふと考えてみた。曲調が番組に合っていたのはもちろんだが、「ミスター・ロンリー」というのは番組を聴いていた私達一人一人のことであったのではないだろうか・・・。 

もうすでに「若者」ではなくなりつつある今、 
「友達」の「ディスク・ジョッキー」ではなく 
、「独り」を愉しむ番組、そして私達を導いてくれる城達也氏のような最高の「道先案内人」にまた出会いたいと思うのである。