SOMEWHERE OVER THE RAINBOW


Big Jay McNeely - Live in LA 1983

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カンサス・シティー!」私にとってこの土地は知らず知らずのうちに深い「縁」ができてしまったようである、まだ行ったことも観たこともないのであるが・・・・。 
最初にこの土地の名を知ったのは「オズの魔法使い」であった。この本が大好きでヒロインのドロシーは住んでいるカンサスから竜巻で飛ばされて旅に出るのだが、彼女の望郷の想いが私にも伝わり自分の「故郷」が「カンサス」のように思えたものだった。 
そして次はビートルズが歌った「カンサス・シティー」という曲である。「♪カンサス・シティー!あの娘を連れて帰るんだ!カンサス・シティーに行ってあの娘を連れて帰るんだ!もうずいぶんになる、あの娘が出て行ってから♪」。この曲はビートルズのオリジナルの曲ではなく、「ミスター・カンサス・シティー・マン!」とも呼ばれたR&Bシンガーの「ウイルバート・ハリソン」という人の曲である。この人のバージョンはどちらかといえば牧歌的な感じである、彼のキャラクターであるトボケた声で歌っている。ビートルズのバージョンのように格好よくはないのであるが、なんとも捨てがたい魅力がある。 
そして次は「LEE・ライダース」のジーンズである。私はいつもジーンズだけは二十五年来「LEE」なのである(似合っているかどうかは別だが・・・)、「LEE」が好きな理由はサイズが私にしっくりくる、尻もゆったりしていて裾も切らずにすぐに履くことができる。それと世の中「リーバイス」ばかりもてはやされることへの反感もあった。そして「カウボーイ」=「アメリカ」を強く感じさせてくれた。「アメリカの音楽」を好きになり始めた私には一番「身近」な「アメリカ」であった。この「LEE」もカンサス・シティーが本拠地なのである。 
そして次は「カウント・ベイシー」、「ビッグ・バンド・ジャズ」は商業主義的なイメージを持っていてあまり聴く気にはなれなかったときがあったが、デューク・エリントンカウント・ベイシーは別であった。エリントンは黒人音楽特有のエッチさ、モンキー・ビジネスさを温存していたし、ベイシーは実に「ブルース色」が濃かった。両者とも私には心地よいサウンドであった。カンサス・シティーは「禁酒法」の時代も「悪徳市長」のお陰で酒が自由に飲めたそうだ、そのためクラブは繁盛し、ジャズの需要も多く、それゆえ「カンサス・シティー・ジャズ」が育ったわけである。「カンサス・シティー・ジャズ」の特色はブルース色が強く、リフ・チューンが多く、黒人が中心になっている、そして「スイング・ジャズ」と「モダン・ジャズ」の中間に位置している。それゆえに他の「ビッグ・バンド・ジャズ」とは別物として扱われることも多い。ベイシー楽団の他にチャーリー・パーカーを育てたので有名な「ジェイ・マクシャン・バンド」というのがあった。(ジェイ・マクシャンは自分でも歌うジャズ・ブルース・バンドといった感じだったらしい)そうなのである「モダン・ジャズの父」ともいえる「チャーリー・パーカー」もカンサス・シティーの生まれなのである。彼は若い頃にベイシー楽団を頻繁に観にいきそこにいた「レスター・ヤング」にぞっこんであった、このレスター・ヤングビリー・ホリデイに「レディー・デイ」の呼び名を与えた張本人である、かわりに彼はビリーから「Prez(大統領)」の呼び名をもらっている。ビリー・ホリデイカウント・ベイシー楽団に在籍していたことがある・・・・。 

前の職場に「国鉄マニア」の人がいていつも時刻表を持ち歩き、「頭の中でいい日旅立ち!」などと言われてからかわれていたのであるが、思うように休みのとれない職場だったのでみんな多少の同情の気持ちをもって言っていたようである。特に意識していなかったのであるが、そんな私も「カンサス・シティー」に向けて子供の頃から「オズの魔法使い」のドロシーと一緒に心の中で旅を続けていたのかもしれない。自分では「ブルースの都シカゴ」を目指していたように思っていたのであるが・・・・。