続 奴の寂しい背中


This boy | The Beatles | lyrics CC

 

 

 

 

 

 

前回は「奴の寂しい背中」と題しながらも、彼の母上について書いてしまった、あまりにも魅力的な母上ゆえにいたしかたなかった。今回は問題の『奴』について書いてみたいと思う。
 

奴の背中の「寂しさ」に私がいつ頃気づいたのかは明言できない、彼があまりにも近い存在であったからかもしれない。小学校3年から6年生までほぼ毎日一緒につるんで遊んでいたし中学では一度しか同じクラスにはならなかったが、落ちこぼれを集めた補習塾では一緒であった、塾が終わった後はよく一緒に公園でたむろしていたものだった。

彼のキャラクターについては前回の「世迷言」でも書いたが、実にいい加減な奴なのに憎めない、そして何よりも皆の期待に必ず答えてくれた、この『期待』は世間一般で使われるようなものではけしてない、ともかくよく「当たる」奴とでもいおうか。小学校の時の事例だけでも、友達の家に行って「便壺」にはまる、汚水が流れているドブに転落、当時このうえもなく汚かった多摩川にすべり落ちる、転んで握り締めた手には出来たての犬の糞が握られていた・・・etc。印象に残っているいるのは自転車で多摩川の土手の急斜面を駆け下り、その下に作ったジャンプ台でジャンプをする遊びをしていたときに他の奴は皆見事にクリアしたのに彼だけは自転車のハンドルで大車輪、月面宙返りをして地面にたたきつけられ、その上に自転車が降って来た、彼は額を切って流血して泣いていたのだが誰かがコーラを飲ませてやるぞ、と言ったら機嫌を直したのだが、地面に寝ている彼に飲ませようとしたコーラが彼の額にかかりシュワーっと発泡し、彼はまた泣き出してしまった。

他にも小学校4年か、5年の頃に翌日の「運動会」がかったるいから「湯ざめ」して風邪をひいて休もうと皆で銭湯に行った時の話だが、その年頃は『毛』がはえているかいないかが結構大きな問題となるのだが、どちらかというと『毛』がはえていると恥ずかしいという世論(?)が強かった時期の話である。手拭をいちおう腰に巻いて局部を隠している状態で浴槽の縁に腰をかけて皆で話込んでいると、突然奴の手拭がはらりと落ちた・・そこには大人並(?)の鬱そうとしたジャングルがあった。実は風呂によくある「抜け毛」のかたまりが手拭につき、それが体についたという話だったのだが、その後半年間はそのネタで彼はからかわれていた。

これだけエピソードを並べるとまるで彼は「いじめられッ子」のようであるし、もしくは、そうなる素質を充分に持ち合わせているように見える。しかしながら彼はそんなにヤワな子ではなかった。必ず自分から喧嘩をしかけていって、必ず負けた、そして泣いた・・。普通子供の喧嘩は泣いたら負けのような暗黙の決まりがあるものだが、彼にはその後のネバリがあるのである。目を涙で赤く腫らし、顔中を鼻水だらけにしつつも相手にむしゃぶりついていく、その執拗さに相手も泣いてしまうことがよくあった。中学、高校になってもよく喧嘩をしていたそうだが、さすがに泣くことはなくなったようである。

彼から聞いたおもしろい喧嘩の話は自動車教習所の教官との喧嘩である。どうしても気に入らない教官がいたそうなのだが、路上実習のときにボロクソに言われたあげくに車を路肩に停めろと言われ、さらにじっくり説教をされる気配を感じて彼はキレたそうなのだが同時にどうしても免許を取りたいために自制心が働き教官に殴りかかることはせずに「ゴメンナサイ!」と絶叫しながら抱きついたそうである。(それでもちゃんと免許を取れたところをみると教官殿もマンザラでもなかったのか?)

彼はよく泣いたが、それ以上によく笑った、その笑い方には特徴があって、まるで「水戸黄門」のように『可可大笑』をした。私はその笑いを観たくて常に彼を笑わそうとしていた。特に給食の時間、彼が牛乳を口に含んだ瞬間を狙って笑わせたものである。そういう時、奴は必ず皆の期待に応えてくれた。まるで現役時代の「長嶋」のような奴だった。

言うなれば、彼は体を張って私たちを楽しませてくれた。そんな彼の「寂しい背中」を見ると私たちも寂しくなった。そんな背中を見せるときに彼は恐らく何も考えていないだろうし、ましてや本人に「寂しい」という感情などはこれっぽちもないのかもしれない、しかしながら彼の背中は私たちをセンチメンタルな気分に誘ってしまうのである。ふと私は喜劇役者チャップリンの寂しい背中を思い出した。彼自身は気づいていないだろうが、彼は生まれながらの『喜劇役者』なのかもしれない、彼にはステージも観客も用意されていないが、ともかく人を笑わせる・・・・そして「しょうがねえなあ・・」と言われつつも人に深く愛される。

当時、心の奥で奴の寂しい背中に嫉妬していた私なのである。