霧の中


Jeff Lang - Sweet Virginia

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学生時代の遊び場の一つに大型のスーパーがあった。三階建てくらいの建物で屋上が駐車場となっていた。最近でも屋上に駐車場があるスーパーは少なくないが大抵はスロープを車で直接登って行くタイプが多いようだ。そのスーパーはエレベーターで車ごと上がっていくタイプの物だった。それをとても珍しく感じた記憶が残っている。売り場で遊ぶこともあったがすぐに店員に注意されるので屋上で遊ぶようになった。週末、日曜日以外は駐車場の車の出入りは多くなかった。しかしながらおおっぴらに騒いでいるとガードマンに見つかり注意されるので私たちはこそこそと遊んでいた。駐車場から店に入る入り口とは別に業務用の入り口があり、そこを入ると倉庫として使われているスペースがあった。売れ筋の品物が置かれているのではなく搬入したときに使われたダンボール等がたくさん置かれていた。従って店員はめったに来ないし、資材は豊富にあるので『基地』をつくるのには絶好の場所だった。

私たちは他の遊びに飽きるとよくそこでダベっていた。ある日いつものようにそこを訪れると『先客』がいた。今でいうところの『ホームレス予備軍』だったのかもしれない。四十代後半くらいのおじさんでそれ程不潔な感じはしなかったが、子供ながらに彼の顔に浮き出ている『疲れ』を感じた。このような状況だとおじさんに『うるせいクソガキ!』と怒鳴られて追い出されるのが常であるが、その人は妙に人懐っこくて積極的に私たちに話し掛けて来てお菓子をくれたり遊んでくれた。しかしながら私たちとしては警戒もするし自分たちの『縄張り』に大人が闖入して来たことがとても窮屈だった。皆と申し合わせて『トイレに行ってくる・・・』という言葉を残しておじさんを置いてきぼりにして逃げてしまった。その後も数回屋上でおじさんを見かけた。彼は私たちと話したがっているようで何回か声を掛けて来たが私たちはその都度彼を避けて逃げ出した。そのときのおじさんの寂しそうな顔が今も心に残っている。やがておじさんの姿は見えなくなった。当時も幾ばくかの罪悪感を感じたが、何せ子供の日常はめまぐるしい変化の連続である、すぐにおじさんのことなど忘れてしまった。

昨日、冷たい雨に濡れる公園のベンチで犬に餌をあげているホームレスの姿を見かけた。そして三十年近く前に出会ったあのおじさんのことが頭に浮んだ。もしかしたらあのおじさんにも当時の私たちと同じ年代の子供がいて逢いに帰りたいけれど帰ることができなかったのかも知れない・・・そんな想像をしてしまった。子供の頃、見える『現実』といえば目先のことばかりである。『将来』、数年後の出来事は『夢』の領域に入っていて『霧』の中である。大人になって自らその『霧』を振り払い歩いていく人もいれば『霧』の中から抜け出せず手探りで迷い続けている人もいる・・・出口を求めながら・・・あるいは光を探しながら・・・。

私もそんな『霧』の中を歩き続けてあのおじさんの年齢に近づいて来た。『霧』の中を彷徨い、視界が開けて来たときには独りぼっちになっていた・・・。そんな風に思えてしまうあのおじさんのことがけして他人事とは思えなくなってしまった。『霧』の中で迷い、疲れ果てて子供の世界に降り立った彼はあのとき私たちに何を見ていたのだろうか・・・。

流れる光景


Midnight Train To Georgia - Gladys Knight & The Pips with lyrics

 

 

 

 

 

 

 

 

 

列車に乗って車窓から外を眺めていると家々や人々、田畑・・・etc、そんな景色が流れ、そして過ぎ去って行く。踏み切りで立ち止まる人々、道を歩く人々を眺めながら、この人はこの土地でどのような暮らしをしているのか、とか、闇の中にまばらに浮かぶ、家々の頼りない灯かりを見ながら、この頼りない灯かり一つ一つの下にそれぞれの家族が肩を寄せ合い暮らしているんだな、などと考え、空想してしまう。 
こういうのを「旅愁」とでもいうのかもしれない。 

日常生活、例えば仕事をしている時にも、ふと昔の光景が浮かんできたりする、あの時なんであんな事を言ってしまったのか、あの時なんであの事を言わなかったのか、とか、自分の行動に関する後悔もあるのだが、早死にした友の妙に優しく儚げな笑顔、別れていった人達の顔、友としたたわいもない話のこと・・etc 
その当時はまったく気にとめることもなく流れてしまった光景が鮮やかに浮かび上がってきたりする。 

まだまだ人生を振り返るには早すぎると思うのだが、つくづく時の流れは早いと思う、まるで新幹線に乗っている時のようだ。車窓から見える光景は、こちらの意図に関係なく後ろへ後ろへと流されていく、もう一度見たいから止めて!と言ってもそれはかなえられる望みではない、ただ、ただ自分の記憶に頼るしかないのである、人々も次第にそのことに慣れてしまって、この「流れる光景」をたわいないものと思い込み、そして後ろへ後ろへと追いやってしまうのである。しかし新幹線といえども無限に同じスピードで疾走し続けるわけではなく、やがて終着駅が近づくにつれて速度は落ちていく、そこではじめて車窓からの光景がよく見えてきて、それがかけがえのない光景である、と気づくのである、しかしながら速く、懸命に疾走していた時の光景はもう見ることはできない・・・・。

野辺送り


Carolyn Wonderland---"Georgia On My.."

 

 

 

 

 

 

 

 

青い空を眺めていて『野辺送り』の光景が頭に浮かんで来ることがある。晴れわたった空の下、田んぼの畦道をゆっくり進む葬列、弔いの飾りが太陽の光の中でキラキラと揺れている・・・。

私は十年程前田舎に住んでいた父方の祖父の野辺送りに参列した。夏のことであった。出発前に集まった人達に向けて家の者はお菓子や紙に包んだお金をばらまく。一通りそれらの習慣が履行された後、野辺送りの葬列は300メートル程離れた寺に向かってゆっくりと進んで行く。視界を遮るものはなく歩き始める前から目的地である寺は見えている。葬列に加わり歩みながらこの光景を前にも見たことがあるような気がした。『デジャビュ』というよりももっとリアリティーがある感覚である。もしかしたら私も以前このような葬列に送られたり送ったりを繰り返して来たのかもしれない。私は祖父の『野辺送り』の列に加わりながら不思議と『別れる』という感覚はなかった。祖父は実家のようなみんながいる場所に『帰っていく』という感じがした。私は特に真面目に信仰はしていない。日本人では一般的な先祖の墓がある寺が『○○宗』だから法事、葬式は『○○宗』で行う、その程度の信心である。それゆえに祖父が『帰っていく』と感じたのは特に宗教上の知識からではなくごく自然で自発的な感覚だった。

私の家族の墓は『霊園』にある。一つの山に無数の墓が整然と並んでいる、そんな感じの場所である。母方の祖父はここで眠っている。こちらの祖父の葬儀のときは『別れる』といった意識が強かった。49日を終えて墓に遺骨を納めるのだが、帰り際に祖父を置き去りにしてしまうような、そんな後ろめたい気持ちになったものである。都会のこういった『霊園』というのは死者を一箇所に集めて『隔離』しているように思えてしまう。すべては生きている者の都合によって取り仕切られている。『町の真中に墓があるのは気持ちのいいものではない』、『墓参りのときの交通の便がいい』『火葬場から近い』『一箇所にまとまっていた方が良い』・・・。その点、田舎の墓所は家のすぐ近くの寺にある。子供の頃にそこで学んだり遊んだり、お祭り、結婚式、葬式・・・村の集まりはすべてここで行われた、祖父が94年慣れ親しんだ場所である、いわば『家』の延長とさえいえるかも知れない。

野辺送りの列に加わりながら『浄土』はあると思う人には身近な所にあり、無いと思っている人にも必ず何処かしら何かしらの行き先がある、さしたることはない。そんな考えが浮かんで来た。そして送られている祖父の『浄土』は『実家』のように近いところにある、そう感じた・・・。

三周忌のときだったろうか、祖父の墓参りに寺の墓所を訪れた。そこには野辺送りの飾りに囲まれた真新しい墓があった。埋葬してしばらくはこの飾りを墓に置いておく風習がこの土地にはある『土葬』時代の名残の風習らしい。この土地は田舎ゆえに年寄りが多い。それゆえどこかの老人がまた亡くなったのかと思い墓誌に目をやると亡くなったのは25歳の女性だった。どのような理由で短い命を閉じたのかわからなかったが何か切なさをを感じた。陽射しにきらめく野辺送りの飾りを見ながら『でも・・・彼女も帰ってきたんだ・・・。』そう考えて私は墓所を後にした。

はたして私の『帰る場所』は何処にあるのだろうか・・・。

喫茶去


Anita O'Day Tea For Two (Improved)

 

 

 

 

 

 

 

昼食時にお茶を入れようとしたらちょうど切れていた。仕方がないので『さ湯』で我慢した・・・実に味気なかった。そして『茶』という飲み物、文化がいかに日本人の食文化を華やかなものにして潤わせているかを痛感させられた。 

私は子供の頃からお茶が好きであった。やたらと甘い物を好んでいたくせにお茶だけは苦いものが好きであった。冬場は冷え切った体を温めてくれて夏場は喉の渇きを癒してくれる。清涼飲料水で一気に渇きを鎮めるよりも熱いお茶を少しずつ飲めば渇きも心もすっきり癒される。 

酒の味を覚えた頃に『抹茶』の味を覚えてしまった。苦い苦いといわれる味の中にほのかに現われる高貴な『甘味』の虜になってしまったのである。栄西が抹茶を伝えた当時、茶は高級品で「薬」として扱われていた。実際に源実朝に二日酔いの薬として献上された記録も残っているらしい。確かに二日酔いのときにはピッタリの「薬」なのかもしれない。 

西洋にもテーブル・マナーの一つとして茶を飲む「作法」はあるようだがそれを『道』にまでしてしまった日本人を非常に興味深く思う。武道、華道、香道文人画、作庭、俳句、能・・・すべてがストイックな『求道』を経て『禅』につながっていく。明治の剣聖山岡鉄舟にこんな逸話が残されている。禅の話をしてくれと訪ねて来た男がいて鉄舟は彼を道場に導いて座らせ剣の稽古を始めたそうである。稽古が終わったあとに話をしてくれると考えていた男は鉄舟に「それでいつ禅の話をしてくれるのですか」と訪ねると鉄舟は「あなたは何を観ていたのか?あなたがさっき見ていたのが私の禅だ」と答えたそうだ。剣客の『禅』は『剣』であり、俳人の『禅』は『俳句』、茶人の『禅』は『茶』であるということだろうか、山の頂上を違うコースを辿ってめざす登山のようなもの・・・と例えた人もいた。 

結局のところラフカディオ・ハーンブルーノ・タウト、オイゲン・ヘリゲルといった当時の外国人が惹かれ高く評価したのはこういった日本の「禅文化」だったのかもしれない。現代におけるいわゆる「日本の伝統文化」は少し『禅』とは距離を置いたところで存続している。これらの文化に対する視線に関しては現代の日本人よりも余程古風かつ正確に観ている外国人が増えたように思える。かつてはとんでもない誤解している人も多かったように思えるが。(鈴木大拙の本を読んだビートニク、ヒッピーがドラックによるトリップと座禅による瞑想を混同していたこともあるらしい)。 

そして私は『禅』や『日本の歴史』とはまったく関係のないところで日々『茶』を飲んでいる。しかしながら自然に『頭』ではなく『体』に茶が染み込んでいくときにやはり自分は『日本人』なんだなあとあらためて感じてしまう。そんなときに何か忘れかけていた「埋火」を見つけたようなうれしい気持ちになってしまうのである。



鳥瞰図


Drive By Truckers 'Gravity's Gone' at Sundown in the City

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥が観たような景色の地図とでもいうのか。私はこの『鳥瞰図』という言葉に出会ったときに何かロマンのようなものを感じてしまった。ライト兄弟が実際に空を飛ぶ以前、レオナルドダビンチ以前の古代から人々は空に憧れていた。恐らく彼らが最初に憧れたのは大空を自由に飛ぶ『鳥』であったと思う。彼らの憧れていた空、観たかった景色は何も高度一万メートル上空からの景色ではなく自由に飛び回る『鳥』が観ている景色だったと思う。私は『鳥瞰図』という言葉にそのような『鳥』への憧れがこもっているように思えてしかたない。今でこそ人類は文明の利器によって大空において高度、スピード、航続力・・・そのすべての能力において鳥類を凌いでいる。しかしながら『優美さ』においては今なお『鳥』にはかなわない。はたして現代の人類においてどれだけの人が『優美さ』に価値を見出すことができるかわからないが・・・。

以前テレビで小型の無人気球にカメラを取り付けて空から写真を撮る人を観たことがある。『航空写真』なら衛星から撮った物、飛行機から撮った物、いくらでも正確かつ広域に渡る写真が撮れるが、気球から撮った上空数十メートルからの写真は事のほか新鮮だった。

一番観てみたいのはやはり『鳥』の目線で観た私の町である。『航空写真』は『街』を写すことはできるが一人一人の人まで写し出すことは出来ない。そして『町』は人がいなくては成り立たない物である。

 

夢路の伴侶


Wilco, Nick Lowe & Mavis Staples rehearse "The Weight"

 

 

 

 

 

眠りにつくまで音楽を聴くという習慣を持つようになったのはいつ頃のことだろうか。昔はマンガ本や本を布団の中でよく読んだ、そして無意識、意識的に本を畳の上にパタリと落として夢の中へ落ちて行ったものだった。やがて音楽に興味を持ち始め本に替わって音楽が「夢路の伴侶」となった。当時はCDなどなかったのでレコードから好きな曲を選んで90分テープに録音してラジカセで聴いていた。FMから「エア・チェック(懐かしい言葉である!)」したものを聴くこともあった。

毎晩布団を敷いた後に早く寝なければいけないと思いつつ寝床にアグラをかきその夜「夢路の伴侶」とする音楽を選ぶのに悩んでしまう。これはまさに「無人島に持っていく一枚のCD選び」なみに難航してしまう。ある意味「夢路」も(自分だけの島)をめざす航海に近いものであろうから「無人島行き」と同じようなものなのだろうが・・・。

大人になってから昼間「夢」を観ることが

なくなってしまった。常に「現実」という名の刃を喉元に突きつけられているので彼方を観ることもできないわけである。それゆえに夜の「夢路」というものがひじょうに貴重なものになっている。

「夢路の伴侶」選びというのも私にとって毎日の大事な行事になってしまったようである。

再構築


Watkins Family Hour - Steal Your Heart Away - Live at Lightning 100

 

 

 

 

 

 

 

 

ここに「名作文学に見る家」という本がある。二葉亭四迷から向田邦子バルザックにいたるまでの文学作品に登場した「家」が図面で記されている。最初はおもしろいなと思って購入したのであるが、どうにも「図面」というものは現実的過ぎる。「文学」をイマジネーションの領域の最たる物とすれば、いわば「図面」という物は「現実」の領域の最たる物である。この両者の邂逅が実に新鮮であった。作者がいわば作品の小道具、大道具である「家」にどれだけの気を遣っているかは作者、作品次第であろう。現実的には矛盾してしまう様な建築も多々あるはずである。そのような作品中の「家」が図面にされて眼前に突き出されると思わず絶句してしまうのである。私は作品を読みながら出て来る「家」全体の間取りを想像するほど緻密で几帳面な人間ではない。場面場面の舞台を想像することは勿論あるのだが・・・。そんな人間ではあるがやはり図面を見ていると自分の抱いた「作品」の世界が崩れていくような気持ちになってしまうのである。

文学作品という物は映画のように人と一緒に観ることはできない。同じ本を他の人と読んだとしても同じ原作で違う監督、違うキャストで撮られた映画を観ること以上の差があるだろう。読書というものは時代、場所を超えて行われる作者との個人的な対話に他ならないのであるから。やはり文学作品は読んだ人の心の中に再構築されるべき物であって、外の現実世界で再構築されるべき物ではないのかもしれない。映画化されるとしたら、それは原作者の手元から離れて映画製作者の「作品」となる。けして映画化作品を否定するわけではなく、また一つ別な芸術作品が生まれるということである。

 

心の中には何物の制約も無い、キャパシティーの限りもない。大いに心の中で文学作品を再構築しようではないか。