再構築


Watkins Family Hour - Steal Your Heart Away - Live at Lightning 100

 

 

 

 

 

 

 

 

ここに「名作文学に見る家」という本がある。二葉亭四迷から向田邦子バルザックにいたるまでの文学作品に登場した「家」が図面で記されている。最初はおもしろいなと思って購入したのであるが、どうにも「図面」というものは現実的過ぎる。「文学」をイマジネーションの領域の最たる物とすれば、いわば「図面」という物は「現実」の領域の最たる物である。この両者の邂逅が実に新鮮であった。作者がいわば作品の小道具、大道具である「家」にどれだけの気を遣っているかは作者、作品次第であろう。現実的には矛盾してしまう様な建築も多々あるはずである。そのような作品中の「家」が図面にされて眼前に突き出されると思わず絶句してしまうのである。私は作品を読みながら出て来る「家」全体の間取りを想像するほど緻密で几帳面な人間ではない。場面場面の舞台を想像することは勿論あるのだが・・・。そんな人間ではあるがやはり図面を見ていると自分の抱いた「作品」の世界が崩れていくような気持ちになってしまうのである。

文学作品という物は映画のように人と一緒に観ることはできない。同じ本を他の人と読んだとしても同じ原作で違う監督、違うキャストで撮られた映画を観ること以上の差があるだろう。読書というものは時代、場所を超えて行われる作者との個人的な対話に他ならないのであるから。やはり文学作品は読んだ人の心の中に再構築されるべき物であって、外の現実世界で再構築されるべき物ではないのかもしれない。映画化されるとしたら、それは原作者の手元から離れて映画製作者の「作品」となる。けして映画化作品を否定するわけではなく、また一つ別な芸術作品が生まれるということである。

 

心の中には何物の制約も無い、キャパシティーの限りもない。大いに心の中で文学作品を再構築しようではないか。