物持ちの良さと想い出

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
家で事業をやっていると案外古い道具などがたくさん残っている。作業用のテーブル、椅子、機械類、そして骨董的な価値さえありそうな事務用品・・・。それらすべて私が幼い頃から慣れ親しんだ物たちである。子供の私はそれらの使用目的、使用方法などまったく知らずに自分の遊びの中に取り入れて遊び道具にしていた。テーブルを立てかけてキャッチャーの拙い絵をマジックで書いて一人で野球遊びをしたり、『穴あけパンチ』を使って今では懐かしい駅員さんの『切符切りごっこ』に使ってみたりしていた。そして叱られつつも落書きもよくした。今でもその一部が残され、現役で使われているのだが、まったく赤面のいたりである。 

工場の方には昔からの物がたくさん残っているが家の方にはあまり残されていない。せいぜい60年前に家を建てるついでに大工さんに作って貰ったという『踏み台』が残っている程度である。ごく単純な作りなのだが頑丈で重宝しつづけている。片手間仕事で60年も使える『踏み台』を作ってしまうのだから、その大工さんは腕が相当良かったのかも知れない。 

家に道具が残らなくなったのは電化製品の普及の影響が大きかったように思える。かつて黎明期のテレビはほとんど『豪華家具』扱いだったらしい。確かに部屋の中心にでーんと置かれるテレビはステイタスだったのかも知れない。子供の頃にテレビにカバーを掛けていたような記憶もある。掃除機、洗濯機、クーラー、ヒーター・・・それらの家電製品は次第に『道具』を淘汰して行ったように思える。家電製品は時がくれば新しい製品に買い換えられてその姿を残すことはない。かつて『道具』という物は意識する、しないにかかわらず何代かに渡って受け継がれ使われたものである。しかしながらここ数十年間でそれらの『道具』が駆逐されてしまったように思える。日本の歴史の中でこの戦後60年という時間は1000年に匹敵するような変化が凝縮されているのではないだろうか。恐らく戦前の日本しか知らない人を今の日本に連れてきたらまさに『浦島太郎』状態そのものであろう・・・。 

『物持がいい』という言葉があるが、この言葉のスパンはどんどん短い時間になっている。かつては数代に渡って使われている『道具』がどこの家庭にもあったはずだが、現代では車にしろテレビにしろ2~3年周期で替える人もたくさんいるようである。恐らくこれからもこのスパンはもっと短縮されて行くはずである。 



家の中が『想い出』の残らない『道具』で埋め尽くされてしまうのはやはり寂しいことである。