歌謡曲えれじぃ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私が日本の「歌謡曲」を聴いていたのは昭和40~50年代である。自然とどこかから流れてきてそれを聴いていた。その後は洋楽ばかりを聴き始め「歌謡曲」には見向きもしなくなった。しかしながら最近は昔に聴いたヒット曲が流れてくるとああいい曲だったなあ・・・などと思うようになった。 
洋楽において「ジャズ」「ロック」は「ポピュラー・ミュージック」の各時代を象徴する音楽であり、他の様々なジャンルの音楽をその懐に吸収していった「メイン・ストリーム」であった。それと同様に日本において「歌謡曲」は長い間「メイン・ストリーム」であったと思う。ジャズっぽいものもあり、唱歌風のものもあり、クラッシク風のものもあり、ロック調のものもあった。演奏に関していえば昭和40年代初め頃まではジャズをベースとした演奏だったように思える。レコード会社がそれぞれ専属の「ビッグ・バンド」を持ち、今から考えると贅沢な話だが豪勢にフル・バンドをバックに曲が吹き込まれていたりする。当時の歌謡曲を聴いて演奏がゴージャスに聴こえるのもこのためかもしれない。「ビッグ・バンド」ほど大規模ではない録音もジャズ系ミュージシャンが多かったようだ。そのあと「ウエスタン・カーニバル」→「グループ・サウンズ」という流れの中で「歌謡曲」の演奏は「ロック」ベースになっていく。「ウエスタン・カーニバル」の人達は洋楽の「ロックン・ロール黎明期」の曲を日本語でカバーしているが、演奏はまだジャズ・ベースであったように思える。 

私が一番熱心に歌謡曲を聴いていたのは昭和50年代、秀樹、五郎、ひろみの「御三家」、ジュリー、あとは百恵、昌子、淳子の「中3トリオ」、そしてキャンディーズピンク・レディーの時代だった。その時代の「歌謡曲」は今聴いてもいいなと思うものがかなりある。強烈なインパクトを私に与えたのは宇崎竜童氏の「ダウンタウン・ブギ・ウギ・バンド」である、宇崎氏の曲は「カタカナ演歌」と呼ばれ、完全にロック・バンドで演奏しているのに日本人の「急所」を突くような「演歌的」部分が詞、曲に豊富に含まれていた。宇崎氏のデビューは20代後半と遅く、その前に「演歌」を歌っていたこともあるそうだ・・・・。 

最近、CDショップに行くと「J・ポップ」という言葉が目立つようになった。「歌謡曲」というと今は「演歌」になってしまうようだ。巷に流れる若者が支持するような「J・ポップ」の曲は昔のロック・ベースの「歌謡曲」よりも洗練されていて洋楽とまちがえる程に「バタ臭い」。洋楽好きではあるが「歌謡曲」を聴いて育った私はそんな流れを少し寂しい気持ちで観ていたりする。そんななかで「歌謡曲臭」をふんだんに聴かせてくれるのが「サザン・オールスターズ」である。かつての宇崎竜童氏の曲がそうであったように桑田圭祐氏の曲は日本人の「ツボ」をよく心得ていてくすぐってくれる。古くは「チャコの海岸物語」、最近では「パシフィック・ホテル」を聴いて、思い切り「ツボ」をくすぐられてしまった年配の方も多いのではないだろうか・・・。私はサザン・オールスターズのファンではなく、特にCDを買ったこともない、しかしながら好きな曲が数曲ある。これは凄いことである、特に関心もない「通りすがりの人」を惹き付けてしまうのであるから・・・。「ファン」でもない人をも惹きつけ、鼻歌でもなんでも、その曲を無意識に歌わせてしまう!これこそ「歌謡曲」の醍醐味ではないだろうか・・・・。