朗読会


Linda Ronstadt - Willin' - Live 1976

 

 

 

 

 

 

 

土曜日横浜山手にある神奈川近代文学館に俳優夏八木勲氏による芥川竜之介作品の朗読会を聴きに行ってきた。不肖私も朗読をした経験がある。朗読といえる程のものでもないが、放送部に在籍していた高校時代、毎年ちょうど今ごろに予選が始まり八月の終わりに全国大会が終了する高校放送部の大会があった。アナウンス、朗読、ラジオ番組制作、ビデオ番組制作といった部門があり、私はビデオ番組担当であった。しかしながら人数不足のために朗読をやる者がなく、ジャンケンで私がやることになってしまった。当日はほとんど国語の授業の音読みたいにあまり感情も込めずに読んでしまった記憶がある。この朗読の大会だが、すべての人が一種独特な節回しで読んでいた。やたらと深刻で暗く重い読み方なのである。取り上げられた作品が田宮虎彦の『足摺岬』、上田秋成の『雨月物語』だったことも大きな要因の一つなのだろうが、高校の放送部員、それを指導する顧問の教師の中には朗読に対して『こうでなければいけない!』といった頑なな固定観念があったように思われる。まあそういった基準がなければプロでもない人達には評価できないのかも知れないが。

文学作品とは勿論作家がすでに完成させた芸術である。後から他人が加筆することは許されない。その完成されたところから一度解体して創り直す映画、演劇という芸術がある。それらには監督、俳優、大道具・・・といった多くの人が携わる。その点朗読というのは完成された作品からスタートするという点では映画、演劇と同じであるが、すべてを読む人一人で解釈して一人で読んで、一人で演じるひじょうに孤独なものである、監督、俳優、その他を一人で兼ねなければいけない、しかも一発勝負である。それゆえに読む人の人柄、存在すべてが凝縮されて表れる芸術ともいえる、ジャズの演奏に似ていないこともない・・・。それにしても人に本を読んでもらうのは何年振りだろうか。私は一度読んだ本を回想するときに活字を読んだときに想像した映像と本に書いてあった活字が浮かんできたりする。活字を読むのではなく人の声でかつて親しんだ文学作品を体験することは実に新鮮だった。

さて夏八木勲氏の朗読会であるが作品は『蜘蛛の糸』、『藪の中』、『点鬼簿』、『蜜柑』であった。夏八木氏は強面であるが声は澄み切っていて実によく通る、そしてやはり俳優さんだけあってセリフになると素晴らしかった。特に白眉だったのは『藪の中』で老爺、法師、盗賊、老婆、女、老婆の声音を見事に使い分けていた。それは会場からため息が漏れるほど素晴らしいものだった。二時から始まり、途中五分の休憩をはさみ三時半に終了した。一時間半たっぷりの朗読であったがとても退屈などしている暇はなかった。夏八木氏の朗読は会場の空気を完全に支配してしまった。夏八木氏が『本日は長い時間ありがとうございました』と言って挨拶をしたときには、もうお終いかと残念に思ったものである。言葉少ない夏八木氏であったが、時折浮べる優しい笑顔が言葉以上にその人柄を語っていたように思える。

帰路に着いたときに久しぶりに心が満たされているのを感じた。空は晴れ渡り、夏を彷彿させる天候、思わず持っていたカメラで写真を撮ってしまった。もし機会があったら朗読なり本職の演技なり、夏八木さんの芸術にまた触れてみたいと思っている。素敵な土曜日の午後だった。