東慶寺慕情


Joe Cocker - Let It Be

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鎌倉にぶらりと出かけたときに「縁切寺」「駆け込み寺」として有名な「東慶寺」の墓所に佇んでしまうことがよくある。この墓所に眠っている人達はまさにそうそうたる顔ぶれである。小林秀雄和辻哲郎大仏次郎高見順、西田幾太郎、鈴木大拙・・・・。まさに「日本の頭脳」とも言われた人達である。彼らは不世出の存在であり、日本が世界に誇る存在であった。墓から這い出してもらってでもその話を聴いてみたい人達である。これだけそうそうたる人達がこの寺を墓所に選ぶからにはこの地には何かしら素晴らしいものがあるのだろうかと考えてしまう。 
苔むした石段、ことのほか質素な墓石をながめつつ、彼らが没してからの約半世紀という星霜に思いをよせてみる。「半世紀」という時の単位は長いのか、短いのか、ただいえることは、今にいたる「半世紀」という時の流れはまさに激流のごとく流れ、世の中のテンポも激流のように速い時代になってしまった。原稿用紙、ペン、そして自らの存在感のみで戦ってきた彼らが愛しくもあり、そしてそれを理解し、受け止めることができる精神、心の余裕があった日本人がうらやましくもあり、そして今よりも緩やかに流れていたであろう時の流れがとても尊といもののように思われるのである。 
今の時代、「ヒーロー」の不在を痛切に感じてしまう。時代の流れが早くなり、メディアがめまぐるしく発達し、情報が氾濫し、それをいちいち判断する時間を持つことすら許されずに「ヒーロー」を始めとして人々は生き埋めにされてしまっているような気がするのである。はたして、この東慶寺で眠る「英雄」たちは、今の時代をどのように判断するのであろうか。 

樹々に染み入るヒグラシの声、ここでは時の流れが停まっているかのようである。墓所に佇みながら風の音に耳を傾ける。もしかすると彼らの会話が聞こえてくるかもしれない・・・そんな気がしてしまう・・・。精神的にも政治的にも経済的にも、そしてすべてのことにおいて、前はおろか、後ろも横も見えなくなってしまったまさに「五里霧中」の日本人・・・。東慶寺墓所に眠る彼らの声を痛切に聴きたくなるのである。