冬の西行桜


Larkin Poe | Duane Allman Cover ("Mean Old World")

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花見にと

 

群れつつ人の

 

来るのみぞ

 

あたら桜の

 

とがにはありける

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浮世と見るも山と見るも

 

唯其人の心にあり

 

非情無心の草木の

 

花に浮世のとがはあらじ

 

 

西行桜より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十年、二十年、三十年、四十年・・・歩みを進めて来て振り返ると誰の心の中にも散らずに咲いている桜が一、二本必ずあるはずである。意識する、しないにかかわらず日本人と桜の情緒的かかわりはそれくらい深いもののように思える。各人の心に秘められた桜も他人に知られることなくやがてはその人と共に散って行くのだろうが・・・。

何年前の事だったか。年の瀬に地元の友人に案内されて上野界隈を歩いたことがある。凄い勢いでアメ横へと吸い込まれて行く人の流れにわざと逆らって上野公園から日暮里まで歩いた。下町っ子である友人の下町関連の話には惹き込まれたものだった。もう江戸弁を遣う人など数少ないのだろうが、友人の言葉の歯切れよさにその名残を伺えたような気がした。

桜の季節には散る花と人で賑わう上野公園・・・しかしながら時は真冬・・・樹々は固く口を閉ざしている。春を想い描きながら花咲か爺さん気分で寡黙な樹々一本一本花咲かせて歩く。これは一風変わった楽しい花見であった。

不忍通り言問通りと歩いて谷中霊園に差し掛かったときに友人がポツリとそんな秘めたる桜の話をしてくれた。

 

毎年恒例行事としてこの場所で家族、親戚たちと花見をしていたらしい。とある年、例年通り花見を終えて帰ったあとに残された忘れ物に気づき一緒に花見をした伯母さんの家に届けに行ったそうだ。春の優しく明るい陽射しの中みんなで楽しんだ谷中墓地の桜。それとはうって変わっている暮れなずむ寂しげな桜のアーチを一人早足で潜り抜けて行った。一人暮らしの伯母さんの家に着いて何回も呼び鈴を鳴らしたが応答がない。買い物にでも行ったのかなと思い引き返したそうだ。翌日訪ねてみるとポストに新聞が入りっぱなし・・・。これはおかしいと思い警察に連絡して大家さん立合いのもと鍵を開けて入ると伯母さんは風呂場で亡くなられていたそうだ。それ以降友人の家族はこの季節は悲しくて花見をしなくなったそうだ。

 

 

そのときは歩きながら何とはなしに耳を傾けていた友人の話だが、今となって春爛漫、谷中墓地の桜の光景が鮮明に浮かんで来る。あそこに行ったのは年の瀬、真冬・・・しかも一度切りなのに・・・。

 

 

 

 

 

 

 

確かに桜の花には(とが)はないのだろう。しかしながら一旦人の心に奥深く入り込んだ桜の花は散ることなく、秘められたまま妖しく咲き乱れる。この真冬の桜逍遥で友人の秘められるべき桜を盗見して持ち帰ったような気分になった。







いよいよ巡る季節は春爛漫

人々はいったい

どちらの花に

心を寄せて

桜吹雪の中たゆたうのか・・・

 

 

 

 

 







風に散る

 

花の行方は

 

知らねども

              

惜しむ心は

 

身にとまりけり



西行