ルーツミュージック賛歌


"Memphis Soul Stew" (live) King Curtis & The Kingpins

 

 

 


The Ikettes - Sweet Inspiration

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャズがポピュラー音楽界におけるメインストリームの座をロックに明渡したのはいつ頃のことだろうか。かつてジャズは、ボサノバ、アフロ・キューバン、アフリカン、ミュージカル、映画音楽、クラッシク、さらにはロックに至るまで様々な音楽を取り入れて来た。そしてこれらの中の(マイノリティー的?)音楽までも「ポピュラー・ミュージック」の中に取り込んでしまった。今は代りにロックがその役目を果たしているように思える。70年代になりクロス・オーバー、フュージョン、ニュー・ソウルと・・・ジャズ、ロック、ソウルが交差し、ファンク等を媒介に交じり合い、その境界(別に境界線をつけることもないのだが・・・)はわからなくなってしまった。これだけ音楽の境界がなくなってくると聴く者の選択肢は拡がるわけである。しかしながら選択肢が拡がった分、逆にピュアなものが求められる波が定期的に起こる傾向もある。 

いくら音楽が多様化してもジャズ、ブルース、R&B、カントリー・・などの「ルーツ・ミュージック」、そしてクラッシク・ミュージクはポピュラー・ミュージックの「骨」のような物である。どんなに贅肉、筋肉が付こうが消えることはないだろう。贅肉、筋肉はやがて朽ち果てるが、「骨」はいつまでも残っていくものである。私もその「骨」にしがみつき、むさぼり、しゃぶっている一人である。 



純粋な意味での『R&B』の歴史の流れに関して、私はキング・カーティスアイズレー・ブラザーズジェイムス・ブラウンを時代時代追って聴けば大体把握することが出来ると考えている。 


さらには動画のアイク&ティナ・ターナー・レビューである。彼らは時代のヒット曲を節操なくカバーしている(そういえばティナ、キング・カーティスともにレッド・ツェッペリンの曲までカバーしていた)。そして実に猥雑!卑猥!下世話!・・・まさに申し分ない。このレビューはかつてのメディシンショーの流れを汲み、サウンドは違えども時代の音に対する向き合い方なども含めて、かつての黒人大衆音楽の雰囲気、臭い、モンキー・ビジネスさを一番色濃く現代に残していたと私は感じている。 


耳障りのいい,知的、お洒落なサウンドばかりが(R&B)と呼ばれてもてはやされる昨今、汗臭く・・・血の通った黒人大衆音楽 『R&B』に想いをはせる私なのである。