怪談芸術


Pharoah Sanders - The Creator Has A Master Plan

 

 

 

 

 

私はことに幽霊話については臆病なのだがどうしても聴きたくなってしまうのである。私は今まで実際に幽霊をみたことはない、友達で見えるという奴がいてそいつの話では人の家に遊びに行って見えてしまうことがあるそうだが、特に一人暮らしの人の場合は可哀想なので黙っていてあげるそうだ。彼が私の家に遊びに来た時に恐る恐る「何か見えるか?俺の家にはいるのか?」と訊いてみた。そいつは「見えない、何もいないみたい・・」と答えたのだが、コイツまた妙な親切心から黙っているのではないかという疑いが沸き起こり、念のため「くすぐりの刑」にかけてその真偽のほどを確認した。どうやら本当に「白」であったようである。

私はむかしの「大映」の怪談映画が大好きであった。「四谷怪談」、「牡丹灯篭」、本郷功次郎が出ている作品群である。メイクなどは現代の映画に比すべくもなく「お化け屋敷」程度の物であるが、そのオドロオドロしさにかけては天下一品である。恐らく俳優の演技の素晴らしさなのかもしれない。日本の古典的な怪談の真骨頂は「情念」にあると思う、ショッキングさというのは見た瞬間にしか残らないが、この「情念」というのは怪談を見たあと、聞いたあとにも長く心に残るものである。「四谷怪談」、「牡丹灯篭」、「番町皿屋敷」にしても悲しい女の情念を描いている。これらの怪談の場合、最初は幽霊に襲われる人間の方に人は感情移入をするが、話しが終わったあとは悲しい女の幽霊の方に気持ちがいってしまうことが多い。

(幽霊と生きている人間)そのどちらが本当に怖いか・・・といったこの永遠の問いかけ・・・これが怪談作品の芸術性といえるのではないだろうか。