常連


The Marmalade - Reflections Of My Life

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライブ・ハウスという場所に初めて入ったのは大学生の頃だった。友人の中には中学、高校時代から通っている者もいたので私はかなり遅い方だった。ライブ・ハウスに行ったとはいっても友達のバンドの貸切ライブに協力してチケットを買ってあげて観に行ったというだけの話であった。狭くて暗く、タバコの煙がたちこめていて耳が痛くなる程の大音響、私にとってはあまり快適な場所ではなかった。そのうえ学生だったので金があるわけもなく、このての場所には馴染めず通うつもりなど毛頭起きなかった。

就職してからいつも歩いているとジャズが聞こえて来る店があった。最初はレコードを流しているのかと思ったが生演奏であった。私はそこを通りがかるたびに中を覗いたりしていたのだが一人ではなかなか入り辛かった。意を決して入ってみるとロック系のライブ・ハウスとは違って狂気じみた大音響はなく気持ち良く酒が飲める環境だった。居酒屋に比べるとかなり割高だったが週一回くらいのペースで通った。一人で行くことが多く、カウンターの席に座るわけでもなかったので『常連さん』というような位置?に着くのに三年くらいかかったかもしれない。『常連さん』と自分で書くのは何となくくすぐったいが少しわがままになってメニューにない料理を特別に作ってもらったりして子供じみた優越感に浸ったりしたものだった。料理に力を入れていた店だったこともあるが私にとってそこは『居酒屋』の役目も兼ねていた。

『常連さん』になるまではライブ・ハウスに一人で来る客というのは居心地の悪いものである。演奏中は良いのだがステージの合間の時間は実に手持ち無沙汰である。私は『常連さん』になるまでに費やした三年間の『下積み』時代を取り返すかのごとく店ではくつろがせてもらった。

最近は『常連さん』を否定するような形態の店が大分増えて来た。コンビニファーストフード店フランチャイズの喫茶店、そして価格的に庶民のもとに降りてきたと喜びつつも、やはり回転率重視の回転寿司・・・。ロボットの様なマニュアル通りの応対にはまったく取りつく島もない。効率化を計るとやはり『常連さん』というのは障害になるのだろうか。確かに私自身を振り返ると店で自由気ままにくつろいでいる割には売上に貢献していなかったといえる。そう反省しつつも、ここでも『顧客』を力でねじ伏せてしまうような強力な『資本』の力を感じてしまう。かつて商売は贔屓の客がついて信頼関係を築いていって持ちつ持たれつやっていくのが常識であったが、『売るだけ』・・・もっと極端な店だと『売ってやる』というような姿勢の店が多くなったように思える。

最近私は180円のコーヒーを売る店から300円のコーヒーを出す店にショバ替えをした。300円とはいっても二杯目からは半額になり、雰囲気、椅子などの環境もいいのでこちらの方に居付くようになった。昨日久し振りにその店に入ったらウエイトレスから『いつもご利用ありがとうございます、本当にお久しぶりですね』と声をかけられた。鼻の下を伸ばしたわけではないがとても気分がよくなった。『顧客』にしろ『店員』にしろ人間なのだから何から何まで『資本』の言いなりになる必要はないのである。私はわずかに『芽』を出してきた『常連』の『種』に希望を持った。