家屋今昔


Sylvester Weaver & Walter Beasley - Bottleneck Blues [1927]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらためて自分の部屋を見回してみると実にせまい物だと思う。6畳の部屋なので物が置いてなければ充分な広さなのだろうが、あまり使わない机、本棚、そしてギター6本、CD、レコード無数・・・。寝るために布団をひくときは物を動かして場所を作らねばスペースがない状況である、おまけに私は182センチあるので足を完全に伸ばすことができない。小学生のときに友達の家に遊びにいくとやはりせまい家でその子は寝るときは机の下に上半身を入れて寝ていた、それを友人とおもしろいなあと笑っていたのだが今の自分もさしてこれと変わりない。

日本人の家が「うさぎ小屋」といわれるようになってすでに久しいが確かにこのせまさには哀しいものがある。家が買えれば幸福な方で一生かかってもまともな家が買えない人がほとんどではないだろうか。川崎には「民家園」というものがありそこには日本中から古い家屋が集められていて観ることができる。まさに木と紙でできた家である。障子を隔ててすぐに外、冬の寒さをどう凌いでいたのか不思議でしょうがない、しかしながら障子、廊下、土間と外に接する場所が多いので家の空間が外の世界を取り込み無限大に広がっているかのように思える、庭園でいう「借景」に近いものかもしれない。現代の都市のこれだけ住宅が密集した状況では「借景」も糞もあったものではない、窓を開け放ったとしても隣の家の壁、もしくは洗濯物を干す隣人と鉢合わせになり気まずい思いをしたりする。そんな状況で暮らしていると民家園にある家が実にうらやましくなってしまうのである。さきの戦争の時アメリカ軍は日本の家屋を「竹と紙でできた家」と呼び焼夷弾を中心にして爆撃を行った。瓦礫どころか完全に焼失してしまった家屋の方が多いように思われる。(空襲以前に建物疎開で壊された家もたくさんあったのだろうが・・・)戦時、終戦時の映像を見ると東京はまさに「焼け野原」といった風情で広大な視界が広がっている。それに比べるとベルリンはまさに「瓦礫の山」である、倒壊、半壊した建物が無残な姿を晒している。これも西洋の「石」の文化と東洋の「木」の文化の違いなのだろうが、ローマ遺跡がその姿を今だにとどめているように石の建築物が残るのは容易であるが木造建築が残るということは実にむづかしい、いつの時代でも焼失の危険はついてまわる、その点法隆寺が現存しているということはまさに奇跡であろう。

話は私の6畳間から古代ローマまで飛んで行ってしまった、ここが活字文化の愉快なところであるが、はたしてどう収拾をつけようか(笑)

時代時代によって生活の中に占める「家屋」の意味合いが少しずつ変わって来たように思える。昔は家屋という物は寒さ、敵、獣から身を守るいわば「砦」であった、その良し悪しによっては命が左右されてしまう場所であったのではないだろうか、生きるためにまず最初に固めなければいけない物であった。

 そして現在の家屋は「安らぐ場所」とでもいえようか、まず寝ることができればいいのである、そこから先はオプション=贅沢?、アパート、ワン・ルーム・マンション、ウイークリー・マンション、選択肢はかなりある。しかし一戸建ての家を建てるのは「夢」の領域に入りつつあるので家よりも車を第一に考える人もいるだろうし、その他の遊びに比重をおく人もいるだろう。これは諦めなのか、それとも長年の「家」からの束縛から解放されつつあるということなのだろうか、それにしても「まず家を構える!」と言うくらい基本的必須条件であった「家屋」を建てることがいきなり「夢」になってしまうなんて実に複雑怪奇である、はたしてこの状況はこの先どう変わっていくのだろうか。