喫茶去


Anita O'Day Tea For Two (Improved)

 

 

 

 

 

 

 

昼食時にお茶を入れようとしたらちょうど切れていた。仕方がないので『さ湯』で我慢した・・・実に味気なかった。そして『茶』という飲み物、文化がいかに日本人の食文化を華やかなものにして潤わせているかを痛感させられた。 

私は子供の頃からお茶が好きであった。やたらと甘い物を好んでいたくせにお茶だけは苦いものが好きであった。冬場は冷え切った体を温めてくれて夏場は喉の渇きを癒してくれる。清涼飲料水で一気に渇きを鎮めるよりも熱いお茶を少しずつ飲めば渇きも心もすっきり癒される。 

酒の味を覚えた頃に『抹茶』の味を覚えてしまった。苦い苦いといわれる味の中にほのかに現われる高貴な『甘味』の虜になってしまったのである。栄西が抹茶を伝えた当時、茶は高級品で「薬」として扱われていた。実際に源実朝に二日酔いの薬として献上された記録も残っているらしい。確かに二日酔いのときにはピッタリの「薬」なのかもしれない。 

西洋にもテーブル・マナーの一つとして茶を飲む「作法」はあるようだがそれを『道』にまでしてしまった日本人を非常に興味深く思う。武道、華道、香道文人画、作庭、俳句、能・・・すべてがストイックな『求道』を経て『禅』につながっていく。明治の剣聖山岡鉄舟にこんな逸話が残されている。禅の話をしてくれと訪ねて来た男がいて鉄舟は彼を道場に導いて座らせ剣の稽古を始めたそうである。稽古が終わったあとに話をしてくれると考えていた男は鉄舟に「それでいつ禅の話をしてくれるのですか」と訪ねると鉄舟は「あなたは何を観ていたのか?あなたがさっき見ていたのが私の禅だ」と答えたそうだ。剣客の『禅』は『剣』であり、俳人の『禅』は『俳句』、茶人の『禅』は『茶』であるということだろうか、山の頂上を違うコースを辿ってめざす登山のようなもの・・・と例えた人もいた。 

結局のところラフカディオ・ハーンブルーノ・タウト、オイゲン・ヘリゲルといった当時の外国人が惹かれ高く評価したのはこういった日本の「禅文化」だったのかもしれない。現代におけるいわゆる「日本の伝統文化」は少し『禅』とは距離を置いたところで存続している。これらの文化に対する視線に関しては現代の日本人よりも余程古風かつ正確に観ている外国人が増えたように思える。かつてはとんでもない誤解している人も多かったように思えるが。(鈴木大拙の本を読んだビートニク、ヒッピーがドラックによるトリップと座禅による瞑想を混同していたこともあるらしい)。 

そして私は『禅』や『日本の歴史』とはまったく関係のないところで日々『茶』を飲んでいる。しかしながら自然に『頭』ではなく『体』に茶が染み込んでいくときにやはり自分は『日本人』なんだなあとあらためて感じてしまう。そんなときに何か忘れかけていた「埋火」を見つけたようなうれしい気持ちになってしまうのである。