音のかけらを胸に・・・再び街へ・・・


阿部薫 1977.9.24 福島「パスタン」

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事を終え街の喧騒,人いきれを潜り抜けてライブ・ハウスの扉を開く。そしてビールを飛ばしてジン・トニックをたのみカーっと飲み干す・・・。演奏が始まるまでにこうやってエンジンを温めておく。

ライブ・ハウスに通い始めたのは就職してからである。最初はどうにも入り辛い所だった。カップルが集まるような店からコテコテのジャズ・マニアが集っているような店もありその空気を読まねばならなかった。(空気を読んだとしても当時の私はどちらともお呼びでなかったかもしれないが・・・)。ライブ・ハウスには一人で行くことが多かった。演奏中はいいのだが演奏の空き時間はどうしても手持ち無沙汰になってしまった。そんなときは本などを取り出して読んでいたのだが、ライブ・ハウスが図書館のように明るいわけはなくあまり集中できなかった。店に通ううちにすぐに仲間ができた。(まあ同じ類の音楽が好きで店に来ているわけであるから話が合うのは当然のことなのだが・・・。)そんな仲間は下は10代、上は70代、職業、社会的地位も実にバラエティーにとんでいた。かといって年上だから!とか、年下だから!とか、俺の仕事はなあ!みたいなことはなかった。扉を開ければ「ジャズ」という音楽の下にみな平等になった。演奏が終われば空気に溶け込んで消えてしまう音楽が我々の体に染み付いた街の喧騒、社会のしがらみを綺麗に洗い流してくれた。いわば日常生活からの「隠れ家」のような場所であった。私のこの『日記』のような文章も日常生活の倦怠、喧騒、浮世の塵を『言葉』で洗い流す「隠れ家」のようなものにしたいと考えている。

人によって考え方は違うのであろうが、モダン・ジャズが若々しく、最もキュートに輝き、そして爆発した1940年代~1960年代、この時代は未だに若い世代にとっても憧れの時代である。彼が何をやっても着いて行こうではないか!と思わせてくれるマイルス・デイビスジョン・コルトレーンチャーリー・ミンガスセロニアス・モンク・・・実に生神様のような存在がたくさんいた。彼らの話をするときリアル・タイムで聴いた人は当時の若者に戻って語り、後の時代になって聴いた人は『音』と『活字』から得た知識を使って語り、この偉人達の存在をどうにかして掴み取ろうと聞き耳(聴き耳)を立てる。後の時代になって聴いた者の周りには夥しい量の資料、評論がすでに用意されている。『音』よりも先に『活字』で知り、イメージを膨らませている人も多いだろう。「音源」はこの世に一つしかないのにそれに関する情報は氾濫しているのである。それを選択することの方がむづかしい状況になっている。「音楽」に関しても「耳年増」が増えているわけである。それゆえにリアル・タイムで聴いた人の話というのはすごく貴重なものであり当時の「時代背景」をよりリアルに知ることができる。本来ならば余計な情報をすべて切り捨て「音」だけを聴けばよいのかもしれないのだが「音」は時代背景、演奏者の人生から切り離すことはできない。全身全霊をかけて紡ぎ出している「音」を聴けばその人についてもっと知りたくなるのは当然のなりゆきなのかもしれない・・・。

ステージが終わり、ミュージシャン達は楽器を片付け帰って行く・・・。客がまばらになった店、一人バーボンをロックでやりながらカウンター席を陣取る。そして余韻に浸る・・・そんな優しい時の流れが大好きである。丁寧なマッサージを受けたあとのように体は火照り頭の中にはかすかに音楽が流れている・・・。

そしてその日得た「音」のかけらを大事に胸にしまい込み再び街の喧騒の中に飛び出していくのである。「隠れ家」は居心地がいいが、そこに常駐していたら「隠れ家」の意味がなくなってしまうから・・・・・。