1974年某月某日航空写真


ELMORE JAMES The Sky is Crying

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日ネット上である航空写真を見た。それは1974年の私の住んでいる街の上空から撮った写真だった。『人』は判別できない高度だが道路を走る車は確認することができた。この写真の何処かに『1974年』の『私』が確実に存在していると思うと何か胸にせまり来るものを感じた。何月何日の何時に撮られた写真であるかは不明であるがイマジネーションはどんどん広がって行く。当時私は小学校一年生、初めて経験する学校生活という奴で小さい胸は希望でいっぱいであった。ランドセルを背負っての登下校、たかだか10分の道のりが友達とジャレ合ったり、路傍に咲く花に見とれたり、都会の中での虫たちの営みに惹かれたり・・・知らぬ間に一時間、二時間が経過していることが普通だった・・・。

この写真の中にはその姿を永遠に見ることができなくなってしまった建物がたくさん写っている。勿論『歴史的建造物』のようにすべての人にとって価値のある建物は皆無であるが、私の歴史、私の心にとってそれらはかけがえのない建物だった。私の生まれた家、遊びに行った友達の家、学んだ木造校舎、遊んだ空き地、廃工場・・・・。そして写真の中に写し出された建物の中にはもう逢うことのできないかけがえのない人たちがたくさんいたはずなのである、可愛がってくれた近所のおばあさん、転校してそれっきりになってしまった友達、優しかった先生、可愛がっていた動物・・・。冷たい上空から撮った、冷たいコンクリートの町並みではあるが、その中には限りない暖かさが存在していた。

果たしてこの瞬間に私は何処にいたのだろうか・・・とても知りたい・・・。