路地裏のピアニスト


James Booker - On The Sunny Side Of The Street (1977)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高度経済成長期に『三種の神器』という物があった。確か冷蔵庫、テレビ、洗濯機だったか・・・。それはいわゆる大人のステイタスであった。これも結局は大人のステイタスに帰着してしまうのだろうが、当時『百科事典ブーム』というのがあり豪華装丁百科事典が十巻くらいのセットでかなり売れたようである。これを自分の子供のために買うことも一つのステイタスだったらしい。その他に『文学全集』のような『全集物』が多く出版されたのもこの時代であった。当時の製本業界は今とは違ってかなり潤っていたという話である。

それはさておき、もう一つのステイタス(ステイタス=大人の見栄)に子供にピアノを習わせる、さらに自宅にピアノを置くということが相当『上級』のステイタスだったらしい。私の生まれ育った土地は川崎下町であるが子供の頃遊びから帰るときなどにどこかから軽やかなピアノの音が聞こえて来たものである。弾いているのは子供であるし、ましてや練習であるから何回も曲の途中で止まったり少し戻ったところからまた繰り返したりとてもまともな演奏とはいえなかったが、路地裏に流れて来るコロコロしたピアノの音色は実に気持ちがよかった。要するに『音楽』として聴いたのではなく『飴屋』の『飴切り』の音のごとく心地良い『ノイズ』『リズム』を楽しんでいたわけである。当時の私たちの考えでは男の子がピアノを習うという発想はあまりなかった。もしピアノを習ったとしたら『ガリ勉君』『お坊ちゃま』のイメージと直結していた。今となっては散々『ピアニスト』の格好良さを見せ付けられてきたので機会があったなら習っておけばよかったと後悔しきりである。

路地裏に流れて来るピアノの音をすべての人が心地良く思っているわけではない。一時期『ピアノ殺人』というのが頻発した。ピアノの音がうるさいと怒鳴り込んできて隣人を殺してしまう殺人事件である。そんな事件の頻発もあってか家庭におけるピアノの練習は防音設備を整えたり、日増しに進化するテクノロジーの恩恵を受けて電子化したピアノ、サイレント・ピアノなどが登場してあまり路地裏でピアノの音色を聴く機会がなくなってしまった。

昨今では路地裏に流れている音をすべて『騒音』と感じてしまう人もいるようだ。赤ん坊の泣き声、元気に遊ぶ子供達の声、朝のラジオ体操、祭りの音、運動会、そして風鈴の涼しい音色さえ・・・・。恐らくこれらの音に目くじらを立てる人の頭の中に最初から『騒音』は備わっているのではないだろうか、それゆえ彼らは何処へ行っても『騒音』から逃れることができないのである。

 

 

私の暮らす路地裏でここ十数年ピアノの音は聴かれなくなってしまったが、代わりに三味線と小唄が聴かれるようになった。それが妙に心に染みる年齢に私も近づいたようである。

はたして子供の頃の私に路地裏でその演奏を聴かせてくれた『ピアニスト』たちはいったい今は何をしているのだろうか・・・。