母子  LOVE UNLIMITED、LOVE SUPREME


John Coltrane - A Love Supreme [Full Album] (1965)

 

 

 

 

 

 

 

 

小学生のとき同じクラスにM君という子がいた。M君は家が貧しく風呂にもあまり入っていないようだった。髪の毛はフケだらけで先生が見かねて学校の流しで洗ってあげたら髪の毛の中にガムが絡みついていたりしたようである。一年間程、給食室新築のために弁当を持参しなくてはいけないときがあった。M君の弁当は、ご飯の上に沢庵が2枚程載っているだけであった。弁当を持ってこないこともあった。そんな時は先生が自分の弁当箱のフタを持って教室を廻り、みんなからおカズのカンパをつのった。

M君はまさに天衣無縫といった感じの子であった。授業中に突然教室から消えて虫とりに行ってしまったり、飼育小屋のウサギを見に行ってしまったりしていた。今の時代なら病名がつけられてしまい、病気だから仕方ないという感じに無理やり説明されてしまうのだろうが、私はちょっと寂しく感じてしまう。M君に野生動物のような「自由」を感じてしまうからである。表には出さないが、内心ビクビクしつつ反抗して授業をさぼる輩はたくさんいるが、M君の場合は誰に逆らうつもりもなく、誰を傷つけるつもりもなく、気持ちの赴くままに好きなことをしているのである。

私たちはこのようにドロップ・アウトしているM君を内心嘲笑していたが、M君の方が余程子供らしかったように思う。逆にM君のような個性をはじきだして「病気」として片付けて画一化教育をする学校、社会がはたして子供のためにいいのかと疑問に思ってしまう。 

そんなM君であるから成績が良い訳はない。ただ絵だけはすごくうまかった、もともと芸術家肌だったのかもしれない。そんな個性的なM君であるからやはりいじめる奴もいた。M君はいじめられてもだまってやられている子ではなかった。泣かされつつも野生動物のごとく抵抗した。でもすぐにケロリとして他のことに集中してしまった。

ある日、M君が数人にいじめられているところに所用で学校に来ていたM君のお母さんが出くわしてしまった。お母さんは一瞬の躊躇もなくいじめている子を張り倒した、そして授業中の静かな廊下を走って逃げる子を追いかけスリッパで打擲(ちょうちゃく)した。後日、M君のお母さんは言い訳することもなく学校に謝りに来た。私たち子供や、多くの大人たちはこのときM君のお母さんを変な人、子供の喧嘩に大人が出て来るなんてと笑ったが、今思えばこれほど深い子供への愛情表現はないように思える。社会常識、世間体などを飛び越えて自分の子供を守ろうとしたのであるから、もっとも原始的で純粋な「母性愛」ではないだろうか・・・これだけ強く、ストレートな愛情表現をされれば子供がぐれたり、自殺することもできなくなるのではないかと思ってしまうのである。恐らくM君のお母さんは息子が再びいじめられていたら躊躇することなく同じ行動に出たであろう。 

M君のような子を病気としてしまい、M君のお母さんを非常識としてしまう・・・もっとも人間的である彼らを特別扱いしてしまう私達の社会の方が余程病んでいるといえるかもしれない。 
はたしてM君は今頃どうしているのかな・・・。