藤棚のある家


Neil Young - On The Way Home & Tell Me Why

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼児用自転車の補助輪をはずして走れるようになったばかりの頃だと思う。行動範囲が格段に広がり隣の町まで足を伸ばしたりした。見知らぬ道に迷い込み半ベソをかき始めたときに声をかけられた。それは藤棚のある家の庭からであった。

同じ年頃の男の子が『ねえ一緒に遊ぼうよ』と微笑みかけてきた。その子は麦藁帽子をかぶり子供用のシャベルとバケツを手にぶらさげていた。私は誘われるままにその家の庭に入り込み、藤棚の下で一緒に『土いじり』を始めた。

彼は大人しい子で自分からしゃべるということはせずに微笑みながら私の話を聞いていた。結局夕暮れまで共に遊び、私の分かる道まで送ってもらいお互いに名前も告げずにその日は別れた。それから私はほとんど毎日のようにその藤棚のある家を訪ねて一緒に遊ぶようになった。

どうやらこの家はアパートのようだった。いつも庭にある藤棚の下で遊んで家にあげてもらうことはなかった。今思えば部屋がせまくて私をあげることが不可能だったようだ、彼がいつもポツリと庭に立っていたのも部屋に居場所がなかったためのようだ。

彼は4人兄弟で両親を入れて6人家族で『六畳一間』の部屋で暮らしていたのである。彼は気前がいいというのか無欲なのか、メンコだろうが、コマだろうが惜しげも無く私にくれた、そんな彼と小学校に上がったら同じクラスになればいいねと話していた。

 

ところがある日いつものように訪ねてみると庭に彼の姿が見えなかった。仕方なく諦めて翌日行ってみても同じであった。心を決めてアパートの中に入ってみた、入り口で靴を脱いで廊下に上がる『共同便所』式のアパートであった。彼の部屋の前まで来るとドアが少し開いていた。覗いてみるとそこはもぬけのからだった。幼い私に彼が突然いなくなった理由などわかるはずもなく、寂しいながらも理由なしに自分を納得させた。子供なりに世の中には『どうしようもないこと』があるのだと気づいた。

 

数年後、風の噂で彼の家族が『夜逃げ』をしたのだと知った。恐らく彼としては毎日訪ねて来る私に対して何か一言、言葉を残したかっただろうと思う、そんな彼をうむも言わさず連れ去らなければならなかった両親の気持ちも今の私ならば理解することができる、しかしながら当時の私にはどう考えてみてもやりきれなかった。

その後数年藤棚のある家の前を通るたびに私は彼が戻って来ているのではないかとかすかな期待を抱いた。しかしながら成長するに連れて新しい友達、『親友』と呼べるような友達ができるに到り、藤棚のある家には近づかなくなった。

 

先日仕事の用事でそばまで行ったのでその家を探してみた。藤棚のある家は周りをマンションに囲まれつつもその姿を昔のままに留めていた。そして藤の花が綺麗に咲き誇っていた。

 

あれから30年、アパートの住人はめまぐるしく変わっていったのだろうが、花は昔どおりに咲いていた。私の記憶も大分薄れて曖昧になりつつあるが、この藤棚を見て彼の存在を再確認することができたような気がした、はたして彼は今どうしているのだろうか・・・。

 

風に揺れる藤棚の下で木漏れ日が踊っていた、しばし時の流れを忘れ、自分の歳月を忘れた・・・。